2020年2月、あと1ヶ月で発災から9年を迎えようという岩手県、宮城県の沿岸部を訪れた。被災沿岸部では土木工事が続き、幹線道路はダンプカーやミキサー車が砂埃をたてて行き交う。巨大な防潮堤の建設現場では、人が、とてもとても小さく見えた。

岩手県野田村に建設中の防潮堤にはいつも圧倒される。壁の向こう側に海があることを忘れてしまいそうになる(写真上左下)。

そして、去年気がついたのは、防潮堤ができはじめると続けて水門が姿をあらわしはじめ、水門建設と同時に河川がコンクリートで覆われていく。東北一帯のコンクリート建造物の工事は、あと何年かかれば終わるのだろうか、と思う。そして、完成後からずっと続くのは、維持修繕管理なのだろう。

コンクリートの寿命は、人の何世代分なのかな、とふと思う。

 

津波の襲来後、被災海岸の自然は強く美しく復活しはじめていた。時間の経過とともに海から陸へとつづく自然環境がとりもどされ、「エコトーン(水際)」が再生され、生き物が姿をみせるようになった。それまで造成され人が暮らした住宅地も、かつて湿地だったところは湿地にもどりつつあり、砂浜は海浜植物に覆われはじめた。

その光景をみて、津波によって再生された豊かな自然は、大津波を経験した東北の復興に活かせるに違いない、と考える人たちがいた。

けれども、すすめられたのは沿岸の土木工事だった。工事により再び自然は失われていき、エコトーンは壊され、海と陸は遮断され、海外では「グリーンインフラ」への転換が進んでいるというのに、被災海岸に姿を現したのはコンクリートに覆われた「グレーインフラ」だった。

 

防潮堤の建設には、賛否両方の意見がある。防潮堤や巨大水門によって津波から守られた町があることも事実、防潮堤が過信となり多くの方が命を失った町があることも事実。
また、大船渡市吉浜のように、明治29年、昭和8年の大津波を経験し、集落全体の高地移転とその教訓を今に守り伝えたことで、最小限の被害で抑えられた地域もある。

岩手県大槌町赤浜は、当初、14メートル以上の巨大防潮堤建設の話が県から提示されたが「海の見えない暮らしはありえない」と反対し、吉浜のように住民の高台移転を選択した地域のひとつだ。

 

今年も、沿岸部の写真を撮影する。発災から10年を迎える沿岸部は、私たちに何を伝えるのだろうか。「復興」とはなにか、何をもって「復興」を言えるのか、ということを検証できるのは、これからだ。

2021年2月