今に至るまで、原発事故は様々な分断を生んでいます。線引きによる賠償金の違い。避難元(都県・自治体)の違いによる支援格差。避難の是非による考え方の相違。何を信じ、何を疑うのか。同じ県内にもかかわらず、避難区域からの避難者が避難先で受ける差別。自主的避難者がふるさとで受ける差別。原発そのものに対する意見の相違。放射性物質に対する警戒心の違い。健康被害に対する見解の相違。全国で起きている原発事故訴訟。これらの状況が、もう6年以上続いています。

福島県では、震災による被害者数は少ないものの、震災関連死は増え続け、直接死を上回っています。震災関連死とは、避難生活での体調悪化や過労、住環境や生活の質が悪化することで発病したり、持病が悪化し亡くなられることで、自死も含まれます。それだけ、精神的被害が大きいということです。

避難区域のすぐそばに、黒いフレコンバッグが山積みされている光景は目にしたことがあっても、たとえば福島市内で、仮置き場に運搬されない汚染土が、各家の敷地内に埋められるか、埋める場所がなければ庭や敷地内に、グリーンシートで覆われて保管されている状況が、当たり前に見られます。7年経っても自宅から回収されることも、掘り出されることもなく生活のそばにあります。

札幌は、原発からの距離で言うと福島市と同じくらいです。現在の福島市の光景は、札幌市民にしてみれば自分事として考えられる前例でもあります。
そして、もし、自分の家だったら、と考えたときに「自分なら避難する」という方もいれば「避難は大げさ」という方もいると思いますが、そのジャッジの是非ではなく、「そういうことを個人が考え、個人が選択しなければならない状況」そのものについて思いを巡らせ、多様な意見を対話でつないでいくことがこれから必要であり、大切なことだと思います。

(2018年3月11日現在)

※写真は、2019/3/10-11開催 3.11SAPPORO SYMPO「8年目の3.11」会場モニターで流れる「今を伝える写真展」より抜粋