今に至るまで、原発事故は様々な分断を生んでいます。線引きによる賠償金の違い。避難元(都県・自治体)の違いによる支援格差。避難の是非による考え方の相違。何を信じ、何を疑うのか。同じ県内にもかかわらず、避難区域からの避難者が避難先で受ける差別。自主的避難者がふるさとで受ける差別。原発そのものに対する意見の相違。放射性物質に対する警戒心の違い。健康被害に対する見解の相違。全国で起きている原発事故訴訟。これらの状況が、もう10年以上続いています。

福島県では、震災による被害者数は少ないものの、震災関連死は増え続け、直接死を上回っています。震災関連死とは、避難生活での体調悪化や過労、住環境や生活の質が悪化することで発病したり、持病が悪化し亡くなられることで、自死も含まれます。それだけ、精神的被害が大きいということです。

福島市では、中間貯蔵施設へ運搬されない汚染土が生活のそばに、東京電力福島第一原子力発電所事故後10年間ありました。
札幌は、原発からの距離で言うと福島市と同じくらいです。現在の福島市は、10年間という時を経て、ようやく普通の暮らしを取り戻しつつあります。
東京電力福島第一原子力発電所事故直後、福島市は通常レベルの500倍に相当する1時間あたり20マイクロシーベルトを観測しました。
もし、自分の街だったら、と考えたときに「自分なら避難する」という方もいれば「避難は大げさ」という方もいると思いますが、そのジャッジの是非ではなく、「そういうことを個人が考え、個人が選択しなければならない状況」そのものについて思いを巡らせ、多様な意見を対話でつないでいくことがこれから必要であり、大切なことだと思います。

(2021年2月末現在)