現在も、被災沿岸部は「工事現場」の様相をみせています。幹線道路はダンプカーが砂埃を立てて往来し、道行く人はほとんどいません。海が見渡せたであろう港や道路沿いには、巨大な防潮堤が建設され、海と陸を遮断している地域もあります。

津波の襲来後、復興事業が始まる前まで、被災海岸の自然は強く、美しく復活しつつありました。その景色は、ずっと昔、まだ、人の手が入らなかった頃の自然の姿に戻るかのようでした。湿地や沼地、そこに植生する植物、いきもの、いろいろなものが、かつての姿を取り戻しはじめ、「もしかしたら、そこに、人がくらしたこと自体が誤りだったのかもしれない」と、一部の人々が気づきはじめた頃、かさ上げや防潮堤工事がはじまり、再び自然は失われていき、かわりに姿を現したのは「グレーインフラ」でした。

安心して暮らすためには防潮堤が必要、という人もいれば、岩手県宮古市のように、もともと巨大防潮堤があったことが過信につながり、亡くなる人が多かったことから、異を唱える人もいます。

いずれにせよ、震災から8年目の今、この、先行された「復興事業」の遅れで、居住地の工事も遅れ、仮設住宅から出られない方々の人数は岩内町の人口とほぼ同じです。もう、あきらめて、まちを出ていく人もいるので、人口流出が止まらないまちもあります。

そのような状況の中でも、前を向き、ひとを、まちを再興しようとしている方々います。地域づくりやまちづくり、コミュニティの再生やつながり、新しい産業…そして、経験により知り得たことを、伝え広めること。

「復興」とはなにか、何をもって「復興」を言えるのか、ということを検証できるのは、これからです。被災地から届く「もっと知ってほしい、そして、同じ轍を踏んでほしくない」という思い…その思いに真摯に向き合い、ともに歩むことが、これから私たちにできることだと考えます。

(2018年3月11日現在)

※写真は、2018/3/10-11開催 3.11SAPPORO SYMPO「8年目の3.11」会場モニターで流れる「今を伝える写真展」より抜粋