3.11から伝承すべきこと 004|荒浜から見える仙台に札幌を重ねた

先日、毎日新聞の記事が目に留まり、読んだ。最後にこう書かれていた。

▶︎劇中、震災前のような輝きを取り戻していく東京や仙台の街並みに、主人公が憤る場面がある。被災から9年を経て、今なお時計の針が止まったままの被災者と、社会の距離が広がってはいないか。

わたしが初めて荒浜を訪れたのは、震災から4年9ヶ月経った、2015年の冬だった。

仙台空港からレンタカーを借りた。空港から少し離れた営業所まで行くのに、レンタカー会社の女性従業員の運転する送迎用ワンボックスカーに乗った。

「仙台は初めてですか?」
「はい」
「もう、仙台はすっかり日常を取り戻していますよ。ただ、一部、復興が進んでいないところがあって、荒浜っていうところなんですけどね」
「荒浜、って津波の被害が大きかったところでしたよね?」
「はい。そこはもう人が住めない場所になるんですけど、そこに戻りたい、って言ってる方々がいて、なかなか役所との話が前に進まないみたいで」
「そうなんですね・・・」

荒浜に行くと、住宅の基礎部分とタイル貼りの浴室部分が一帯のそこかしこに残され、一瞬、時間が止まっているかのように思えた。けれども、自然に成長した松の木が、津波に流されずに残った住宅基礎の中で成長している姿からは、時の経過を感じる。

このとき私は、もともとこの地域がどんな地域だったのか、街並みがどうだったのか、何世帯、何人くらいの方々が暮らしていたのか、何も知らずにここに立っていた。

あとで知ったのだが、震災後、荒浜の住民は、コミュニティを守ることができない状況におかれてしまったそうだ。あちこちにできた仮設住宅やみなし仮設にはなればなれに暮らすことになったため、連絡をとりあったり、住民が集まって話し合ったり、合意形成をはかったり、支え合うことも困難になったと聞く。そんな中で、行政から「ここはもう住めない地区にする」と言われ、住民不在の復興計画がたてられたら「ちょっと待ってください」という気持ちになってしかるべきだとわたしは思う。

 

2015年12月撮影

 

次にわたしが荒浜を訪れたのは、2018年2月。住宅基礎はそのままそこに遺されていた。
「ここが玄関だったのかな」自分がタイル敷きの床に立ち、ドアを開け、家の中に入っていく様を想像し、間取りを想像し、そこにあった暮らしを想像し、じっと基礎を見ていた。

ふと、顔をあげ、遠くの景色に目をやった。
仙台の中心部が見えた。いくつもの高層の建物がそびえ立つ。荒浜から直線距離で約10㎞。でも、なんだか遠く、違う世界があるかのように見えた。

そのとき、レンタカー会社の女性従業員の話を思い出した。

「仙台はすっかり日常を取り戻していますよ」

荒浜も仙台市内だ。おなじ「市」にあって、とてつもないギャップを感じた。震災後、ここから仙台中心部を見たかつての荒浜の住民たちは、どんな思いなのだろう。「もし、私だったら」とちょっと想像するだけで、悲しみと怒りが混ざり合った憤り感を腹の底に感じる。何に対する悲しみと怒りなのか、それが、災害を起こした「自然」ではないことは確かだったが、かといって「人」なのか?「自分」なのか?

▶︎劇中、震災前のような輝きを取り戻していく東京や仙台の街並みに、主人公が憤る場面がある。被災から9年を経て、今なお時計の針が止まったままの被災者と、社会の距離が広がってはいないか。

「社会」なのか?

2018年2月撮影

 

2018年9月6日 北海道胆振東部地震が起きた。全道が停電し、札幌は、清田区をはじめ、一部地域で大きな被害を受けた。局地的な被害だった。停電が解消されると、あっという間に日常を取り戻して行く札幌の街中。

そんな札幌にいて、ふと、荒浜から見た仙台中心部の姿を思い出した。

仙台と同じだ。札幌は今、仙台と同じなんだ、と思った。
全壊や半壊、液状化の影響を受け、すぐに再建や修繕できない状況にあって、応急仮設住宅に暮らし、けれども、勤務先や学校では、話題にものぼらなくなっていき、どんどん過去の出来事になっていく。そのスピードは、早い。でも、被害を受けた人にとってはずっと震災の影響下にくらしている。

「札幌は停電だけだったから」

そう言う人さえいる。今も、応急仮設住宅での暮らしを続けている方々は札幌市内だけでも約200名。胆振の安平町、むかわ町より多い。

誰が悪い、と言うことではない。でも、なにかがおかしい、と思う。

でも、なにが「おかしい」のか、どうしたら「おかしさ」を感じずにいられるのかが、わからない。わからないけれども、なにかが、ものすごい根っこの部分で「欠落している」のを感じる。

 

今年も荒浜へ行った。

住宅基礎は、震災遺構「仙台市荒浜地区住宅基礎」として昨年8月から公開されている。

今年も同じ住宅基礎の前に立ち仙台の中心部を見た。

仙台に札幌が重なる。

わたしにとって反面教師として。

 

 

北海道札幌市生まれ。東京造形大学卒業。

2007年までアンティーク家具修理に携わる。東日本大震災後、北海道NPO被災者支援ネットに所属。2017年より3.11SAPPORO SYMPO実行委員会 実行委員長。