宮城県白石市の魅力:白石城と白石うーめん

東北に生まれ育った私は、就職で地元を離れ、改めて故郷を観た時に、純粋に「凄い!」「面白い!」と思いました。東北の底力を再発見し続けています。そんな名所の中から、私の独断と偏見でニッチな見どころをお届けします。

今回は、宮城県白石市の「白石城郭」と「白石うーめん」を、勝手にお勧めします。お城鑑賞は、足軽目線で想像しながら登城するのがお勧めです。攻めるのか、守るのか?どちら側で妄想しても楽しいものです。そして、観光に欠かせないのがご当地グルメです。地元民には、当たり前すぎる「食」だからこそ、「ご当地グルメ」になるという面白さも発見しました。

 

本気復元天守

白石城郭は、874(明治7)年の廃城令により取り壊されましたが、通称「ホワイトプラン」と呼ばれる第3次白石市総合計画により、旧白石城と同じ規模、同じ建築方法により、城郭の一部が復元されました。このように史実に忠実に復元された城は、木造復元天守と言い、全国でも5城しかないそうです。

私は、コンクリートで外観だけ復元した復興天守や、当時はなかった天守閣を勝手に作っちゃった模擬天守とは明確に分けて、木造復元天守のことを「本気復元天守」と呼んでいます。復興天守や模擬天守は、内部に資料館的な施設が入っていることが多いので、それはそれで観光施設としては楽しいのですが、当時の職人技術や機能美などは現存建築物でしか見られないものです(補修等入りますが)。さらに、本気復元天守では、現代に受け継がれてきた職人技も堪能できるので、強くお勧めしたいのです。

白石城郭は、この「本気復元天守」なのです!

白石城郭

白石城郭は、三階櫓(天守閣)、大手一ノ門、大手二ノ門、櫓廻り土塀、門廻り土塀という本丸にあたる部分が本気で復元されています。三階櫓は1995(平成7)年3月に完成。ちなみに明確な天守閣がない場合は、櫓を天守相当とすることが多いので、白石城は三層櫓を天守閣とみなしているようです。その三層櫓の最上階から復元された城郭を見てみます。土塀に囲まれた通路が急激に狭くなっているのが分かりますか?敵の襲撃に備えての布陣なんです。突進してくる敵兵の勢いを削ぎ、狭間(さま)から狙い撃ちするらしいです。陰湿です。

写真手前の二層の建物は鐘堂(現存)ですが、鐘は白石市内の傳来寺にて保管されているとのこと。御殿があった本丸に当時から残っているのは、鐘堂とその手前にある井戸だけのようです。

 

狭間から、大手一ノ門付近を狙う図。

攻める方は、堪ったもんじゃない。守る側からは丸見えなので、隠れるところがないのですよ。

 

大手二ノ門。2階のある櫓門タイプ。復元には、樹齢1000年以上の台湾檜を使用。この大手二ノ門を突破しなければ、城内には入れないのですが、無数の狭間に取り囲まれていて、恐怖しかありません。

 

天守閣(三層櫓)内部

登城する前からガクブルなのですが、三層櫓に入れば素晴らしい造りにため息がでます。もちろん御殿のような煌びやかさはありませんが、質実剛健!機能性を重視された武器庫としての役割と、地域の守りとの要となる天守閣の存在感に圧倒されます。木組みの建築物が美しいことは言うまでもありません。そして、この三層櫓の木材(檜)は全て国産とのこと。国産檜でこの樹齢のものは、もう手に入らないのではないかと言われています。

 

三層櫓の最上階。廻り縁(まわりぶち)から 火灯窓のアップ。この窓枠のデザインは、もともと中国経由で入ってきた仏教(禅宗)の様式が広まったもののようです。他にも、破風や破風飾り、鯱など、外観はお洒落に装っていいます。

 

絵馬という名の布

三層櫓の1階には「片倉小十郎重綱奉納絵馬」がてろんと展示されています。甲冑が警護(威圧?)しているとはいえ、本物がまんま飾られているのには、度胆を抜かれました。一方、背景が金色で烏天狗(太郎坊天狗)が色鮮やかな方は、京都愛宕研究会が作成し、寄贈してくれた「片倉小十郎重綱奉納復元絵馬」。こちらは、歴史探訪ミュージアムのガラスケースに収められていました。白石市の太っ腹加減が分かりません(笑)

白石城公式ホームページ http://www.shiro-f.jp/shiroishijo/

3.11と白石城

白石城郭の本気復元三層櫓は、東日本大震災当時に、土壁の崩落、ひび割れ、瓦の破損などの被害があったそうですが(白石市発表)、木組み構造体への影響は特になかったとのことでした(ボランティア談)。土壁や瓦の補修と、「楔(くさび)」「栓(せん)」を全数点検し、安全を確認して2012年4月1日から一部観光再開したそうです(三層櫓最上部のみ閉鎖)。震災から、たった1年で再開させたのですが、「点検を待っている間が長かった」とボランティアさんが振り返っていました。「お城どころじゃないのは、分かってるんだけどね」とも。

私は、インフラ設備を回復させることだけが復興ではないと思っています。(震災前と全く同じではなくとも)日常を取り戻すことが復興なら、お城が在る生活ごと取り戻すことこそが、復興の証なんだと思いました。白石城のボランティアさんは、とても活き活きと楽しそうに案内してくれました。

 

白石うーめん

歴史探訪ミュージアムにあった、「白石うーめん」の食品サンプル。殿様(片倉家)の食事など、当時の食文化が、ガラスケースの中で再現されていました。しかし、食べものは食べてこそ!なので、早速白石市内に繰り出しました。

地元の友人は、「うーめんは自宅で食べるものだから、外食できるはずがない」と言ってきかなかったのですが、あっさり専門店を発見。ちなみに、白石うーめんとは、見た目は単なる短いそうめんですが、製麺時に油を使わないのが特徴で、健康志向にぴったりの逸品です。しかし、地元民がそんなことを気にしながら食べていたかというと、そんなわけはありません。単純に美味しいから「うーめん」を食べるのです。夏は冷しで、冬は温かかくして、1年中美味しくいただきます。

白石うーめんには、名前の由来が伝わっています。「その昔、孝行息子が油を使わない麺の製法を旅の僧から教わり、胃病の父に食べさせたところ全快。その話が白石城の片倉小十郎公に伝わり、息子の「温かい思いやりの心」を讃え、白石の「温麺(うーめん)」と名付け、地場産品として奨励しました。」とのことです。ちなみに白石城の城主は代々「片倉小十郎」です。小十郎の後ろの名前が個人名になります。

私は、豪快にかき揚げも追加オーダー。健康志向を台無しにするチョイスだけど、大変美味しく頂いたのでご満悦です。

奥州街道うーめん番所

http://umenbansho.com/index.php

 

札幌の中の白石(区)

北海道開拓期には、全国からの移民が入植しました。武士が率いてきた一団は地元に所縁のある名称を付けているようです(士族移民型)。札幌市白石区は戊辰戦争で敗れた仙台藩の白石城主、片倉小十郎の家臣の人々が移住したことに始まったそうです。大変な苦難に会いながらも、北の大地を耕し、生き抜いた方々がいたことを私たちは覚えていたいものです。

白石区の白石うーめん

さて、そんな白石区の複合庁舎食堂では、白石うーめんが食べられるとの情報を入手して、早速食べに行きました。

券売機でも「白石ウーメン¥580」はボタンの色が違う!左端のジャンルにも「白石温麺」が!この暑苦しいばかりの白石愛を誰に伝えようとしているのか?更に、「乾麺を茹でるため、出来上がりに少々お時間を頂きます」の注意書きもあり、妥協を許しません。

 

温麺(暖かいうーめん)は、さっぱりとした塩味。でも、東北の食べ物なので味は濃い目です。トッピングもかまぼこやゆで卵、お餅も入っていて大満足。大変美味しく、そして懐かしく頂きました。

 

白石区ふるさと会

更に、白石区複合庁舎の1階には、伊達藩白石からの入植に関する歴史が、甲冑や白石れんがとともに展示されています。見応え充分です。宮城県民の愛してやまない「独眼竜正宗」にも登場する片倉小十郎景綱の甲冑も展示されていて、テンション高めに鑑賞できます。

白石村で製造されたれんがで作られた赤レンガ庁舎のパネルもあり、北海道開拓期を支えた入植の歴史を知ることもできます。白石村の鈴木煉瓦製造工場の刻印のあるれんがも展示されています。Sのマークの他にも星形の刻印もありました。赤れんが庁舎にも刻印のあるれんが使用されていますが、外壁に近づくのは危険とのことで、そちらは見るのが難しそうです。

 

東北と北海道のつながり

もともと北海道は、全国各地からの移住者が必死の思いで開拓して今日に至っています。東日本大震災、福島第1原発事故という悲しい出来事から、改めて自分のルーツに思いを馳せた方も多かったのではないかと想像しています。

避難してきた方々が、「北海道に来て良かった」と言ってくれるのは、アイヌの土地である北海道へ全国から入植した過去が、移住者を受け入れる度量の大きさに繋がっているのかもしれません。この土地に住む私たちが、どんな未来を子どもたちに残せるのか、そんなことも考えたりしています。

 

 

宮城県白石市訪問日:2017年1月

札幌市白石区訪問日:2018年5月

宮城県出身。2002年より札幌市民となる。任意団体「月輪会」代表。