撮影紀行 002 ― 軋む ―
きし・む [2] 【軋▼む】
( 動マ五[四] )
〔「きし」の動詞化〕
① 固い物がこすれ合ってきいきいと音を立てる。
② いら立つ。
などと、広義にはそうある。
僕は道北の内陸の盆地で育ったから、海というものをほとんど体感せずに育った。
半年間は雪の中だから雪が、雪原が、きっと海のようなものなのかしらと想像し記憶していたように思う。グランドや空地の広いところでは風に擦られて固くていけない。工場や大きな建物の影や、屋根や軒下の氷柱のないところの、風や気温の摩擦にやられていない雪が柔らかくあるところがいい。鼻をすすりながら、凍らせながら、雪の中を泳ぐその気になって幾度も漕いだ記憶がある。
雪の中を掘り自分だけの陣地を作る。そこから上に向かって少し穴を開けてみる。そうしていくと外からの光のちからで白い雪が水色に、青い色に変わってゆく。
どこからか宝剣のようにきれいな氷柱を見つけてきてそれを強がって噛り、喉の乾くことを知らず冬の夕方の時間はあっという間に過ぎる。
寒さに体が軋むのを感じる前に、帰りの歩く雪道が靴底に押されてきゅっと軋む。
雪道を歩くと勇気が出るような気がする。
アスファルトやコンクリートの道では、踵の硬い靴を履かないと音が出ないが、雪道ならなんとも言えない、あの雪の軋む音がするから、自分が歩いていることを耳でも味わえる。
噛り舐めていた宝の氷柱の短くなったのをそこいらの雪の山に投げ捨て、玄関に辿り着き、靴や服や帽子や手袋の中になぜこんなに雪が入っているのか理由もわからずにそこいらに脱いで、ストーブにあたる。
雪の積もるところには、どうしたって雪が在り、そしてその上を歩きたくなる。
海のあるところには、人工ではない砂浜が在り、そしてその上を歩きたくなる。
続いている道がある。
途切れている道もある。
戻れない道も繋がる道も、選ばなければならない道もある。
朝日に眩しいまま、復興を僕も願う。
海に続く道の、雪の積もった道を踏みしめ軋みながら。
2018年2月 岩手にて
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