3.11の書架 002 『遺体ー震災、津波の果てにー』

 

『遺体ー震災、津波の果てにー』(石井光太著、新潮社、2011年)

 

所感

以前、石井さんの書いた『絶対貧困』(光文社、2009)という発展途上国のルポルタージュを読んだことがあり、その目線の低さや文章の読みやすさから、好感を抱いていた。

東日本大震災による死者数は15,895名、行方不明者数は2,539名(日経新聞2018/3/6の記事より)とされている。
数字で示されても、それは空をつかむようなもので、いまいちピンとこない。
そのひとりひとりには名前と肉体があり、家族や友人があった。そんな当たり前のことを示してくれる本となった。

この本で書かれているのは釜石市のお話だ。自衛隊などが行方不明者を捜索する映像は見たことがあったような気がするが、その他に、遺体を運搬し、身体的特徴を書き記し、検体をし、死亡診断書を作成し、DNA鑑定をし、歯形を記録し、遺族に寄り添う。焼却場の限界があり、すぐに全ての遺体を火葬することができないからと、土葬が検討されたこともあったが、多くのひとが奔走したおかげですべての遺体を火葬することができていた。

様々な方法で、ひとりひとりの亡き人と向かい合っていたひとがいたという事実に、生々しさと、尊敬の念、そして、死亡者数として数字という記号で示されるものの、そのひとりひとりに名前と肉体があってよかったという安堵を感じた。

復興とは家屋や道路や防波堤を修復して済む話ではない。人間がそこで起きた悲劇を受け入れ、それを一生涯十字架のように背負って生きていく決意を固めてはじめて進むものなのだ。(p.262)

あとがき部分に書かれるこの「復興」のことについて、出版から8年経ってもなお、生きた言葉のように思う。

復興したかどうかについて、部外者がとやかく言うことではないのだろう。

北海道札幌市生まれ。

東日本大震災を機に札幌にやってきた子どもたちとレクリエーション活動を行う「みちのくkids」を大学在学中に発足。代表の任務を終えてからは、旅行で東北に足を運んだり新聞や本、映画などで震災に触れ、自分の生活について再考している。2017年度より3.11SAPPORO SYMPO実行委員。