3.11の書架 003 『あわいゆくころ 陸前高田、震災後を生きる』
『あわいゆくころ 陸前高田、震災後を生きる』(瀬尾夏美著、晶文社、2019年)
所感
この本は、著者の瀬尾夏美さんの7年に渡るツイートと、その時を振り返り、語り直したエッセイで構成されている。瀬尾さんがツイートしてきた言葉たちは、彼女がファインダーとなって写された写真のように、人と場所と時間と空気と思いを伝えている。
二〇一三年
八月二十八日
一人ひとりそれぞれの方法で、弔いを続けている。
弔うことで生き残ったその人も何とか生きていく。
亡くなった人がその人を支えている。
亡くなった人と一緒に生きていく。
永遠に続く弔いは、その人が生きるための術でもある。
(中略)
死者との関係を大切にし続けること。
土着すること、その土地に暮らし続けることの、根っこのことのように思う。(P.143)
この本はなんども読み返せる。
丁寧に織りなされた言葉が、想像力を揺さぶる。
やさしい言葉で短いツイートにまとめているけれど、読む人の心に刺さる。心に残るツイートはもちろん人によって違うだろうが、読む時々によっても変わるだろう。そして、気づかせてくれるものがある。
二〇一四年
四月二十九日
三年目にしてね、市街地にあった最後の建物が解体されたでしょ。
その時が一番ガクッと来ちゃったのよ、とおばちゃんは言った。
今はさらにその上に土かぶせちゃってね、ここがどこだかわかんないよね。
私はどこにいるんだろうって思うのよ。
最近ずっと風が強いよねぇ、自然が怒ってる。
ねぇ、そう思わない?(P.176)
岩手県陸前高田市は、東日本大震災の津波により大きな被害を受けた。
高田松原の約7万本におよぶ松は津波により失われ、市街地は流され、たくさんの命が失われた。
その後、嵩上げをするために、山から巨大なベルトコンベアーで直接砕石を運ぶという、他の地域ではみられない方法で工事が進められた。私が初めて陸前高田へ行ったとき、頭上に響くベルトコンベアーの音に驚いた。
まちの人たちはどんな思いでいるのだろう、と、私は行くたびに思うのだけれど、直接聞いて知ろうとはしなかった。聞いてはいけないような気がしていた。
でも、瀬尾さんは、そこに暮らし、生活を営みながら、まちの人たちと接する中で聞く声を発信し続けた。
大きな災害がおき、被災したまちは「復興」に向かう。けれど、「復興」の過程でまちの人々は再び大きな喪失を経験する。地震と津波は自然災害だとしても、「復興」を担うのは人だ。二度目の喪失は、人によりもたらされたもの。だから、複雑で重苦しい。それでも、あたらしいまち、あたらしい暮らしの中で、人々は折り合いをつけながら暮らしてゆく。
ただ、折り合いをつける術を人々が見出すからといって、繰り返されてはいけないことであり、「喪失なき復興」がこれから取り組むべき大切なことだと思う。
そのために、どうしたらいいのか。
二〇一七年
十月十五日
当事者と非当事者という存在がもし分かれてあるとしたら、
その間にあるグラデーションを繋いでいくことが大切ではないかな。
そうしないと社会は、いつまで経っても前に進まないのではないかな。
繋ぐのは、旅する身体、言葉のやりとり(ゆっくり聞くこと、諦めないで話すこと)、
触れあうこと、かな。(P.328)